春の小川(生まれてはじめて弾いた曲・トイピアノ)
あまりにも昔のことで、記憶もおぼろでしかないのだが、どこからかお古のトイピアノがもらわれてきた。
子供って、音の出るおもちゃ、好きよね(笑)
たぶん、ただそれだけのことだったのだろうと思う。
最初はきっとただやみくもに鍵盤をたたいていたのだろうが、
童謡の絵本に載っている曲を弾くようになった。
弾く、とはいってもただ音を並べるだけだが、音を順番におして曲になるのは
楽しかった。
絵本の一番初めの見開きに載っていたのが「春の小川」だった。
歌詞が大きく書いてあり、絵は春の小川の様子。
左下にちいさくメロディだけの単音の楽譜(歌詞つき)が載っていた。
それを見ながら、鍵盤のここがド、ここがミ、といって
♪みそらそみそど
と順に押すと春の小川になった。
子供だったのでそれだけでうれしくて何度もそればかり押した。
♪はあるのおがわわさらさらゆくよ~
(周りの大人はときどき、さらさらながる~、と歌っていた)
そのうち、このあとはどうなるの?ときいた。
♪みそらそみそどどららそみれみど
おしまいのところの順番がちょっと入れ替わるだけで
こどもごごろにぐ~んと長くできるようになった、と思えた。
記憶の中の私は「続きを教えて」と言っている。
母もそれほど楽譜が読めたわけではなかっただろうと思うのだが、
サビの「すがたやさしくいろうつくしく」も繰り返しているうちに覚え、
単音メロディーで弾けるようになった。
そのあと、その絵本に載っている童謡をいくつか覚え、弾いていた。
(しつこいようだが、ただ音をならべているだけである)
絵本に載っていた曲を全て弾けたわけではない。
今思うと、弾いていたのは、おそらくハ長調のものだけだったのだとおもう。
ほかの曲も弾いてみたくて、この歌は?と聞いても、両親も周囲の大人の誰も(祖母、伯母、叔父も一緒に住んでいた)これは楽譜がむずかしいから、わからない、と言っていた。
今、こうして思い出しながら、唐突に疑問に思う。
誰も大して楽譜を読めなかったというのに、どうやって音と鍵盤をつないだのだろう?
誰かが鍵盤の位置と音をつき合わせてくれたのだ。
記憶の中で、それは母であることも、父であることもあったように思う。
トイピアノになにか説明書でもあったのだろうか?
私は説明書のことはまったく記憶にないのだが、そういうものでもなければ
鍵盤の位置がわかるはずはないように思う。
しかしそうだとすると、短い童謡とはいえ、譜読みをして鍵盤の位置をたしかめて、幼い子供(私)に「ここがド」と教えるのは、もしかしたら、ずいぶん面倒なことだったのではないだろうか?
私は自分から「ピアノを習いたい」と言った覚えはない。
なぜピアノを習いに行くようになったのかも記憶がない。
こうして思い返してみてはじめて、私にピアノを習わせようと思った両親の気持ちが今になって少しわかるような気がする。
機会をみて母に(父は他界しているので)そのころの事を聞いてみたい。
ピアノを習わせてくれて、ありがとう。
本当にありがとう。
こんな年齢になって、心からそう思う。
☆しかし、そういうことにも思い及ばず、私はあまりピアノの練習をしなかったのだ。親不孝な娘だわ・・とほほ☆