どうしてピアノが弾きたいのだろう・・・とまだ考えていた
自分がピアノを弾くよりも、ずっとステキに演奏する人はあふれるほどいるのだから、
何もそんな必要はどこにもないのに、どうして騒音を撒き散らしてまで自分がピアノを弾きたいのだろう。
ピアノの音が魅力的。硬く練り上げられ金属が叩かれ震え空気をゆらして伝える音。
周囲の弦や金属や木に反響してふくよかに広がりながら、音が連なって旋律をつくる。
静かな湖面に広がるいくつもの波紋のように干渉し調和しながらモアレが生まれるような。
それが、自分でできるかも、と思えるからかもしれない。
鍵盤に触れる、押し下げる。
フェルトのハンマーが弦を叩く。触れ方を変えると音も変わる。
ピアノが、私の気持ちを音にしてくれる。
ピアノが、私の気持ちに寄り添ってくれるように、私と一緒に歌ってくれる。
誰かが上手に弾いた曲ではなくて、つたなくても自分の気持ちを乗せて響く音を連ねた「自分自身の音」が、ほかの何ものにも換え難く私自身を癒す、あるいは慰める、あるいは開放する。
だから、自分で弾きたいのだ。
ほかの誰かが弾くのを聞くのではなくて、自分で、というのは、そういうことなのかもしれない。
私はただ、自分のために弾きたいだけなのだ。
下手なのはわかりきっているし、他人に聞かせられるものでないし。
う~ん、自分勝手というかわがままというか、他人の迷惑顧みずというか。
私はただ、自分のために弾きたいだけなのだ。
だからきっと、100km四方に誰もいなくても(誰も聞く人なんていなくても)私は嬉々としてピアノを弾くだろう。
・・・ああ、なんと自己中な、全然美しくない結論・・・こんなものか。
でも、やはり私の場合、これが答えだろう。
(身近にいる皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません!!)