ピアノを弾くのが怖い?(個人的な問題)2
デジタルピアノを買って、すごくうれしい。
毎日弾ける!万歳!
なのに、なぜかそれを「怖い」と思っているのはどうしてなのか・・・
自分のことなのに、よくわからない。でも、わかりたい。
とりあえず「私がピアノを弾くのは迷惑行為」と思っていたことは、わかった。というか「はっきり思いだした」。
「習っているけど、下手。全然上達しない」
「下手なピアノは近所迷惑」
つまり
「私がピアノを弾くのは他人にとって迷惑」ってことですね。
少なくともそう思い込んでいたことは事実です。
「習っているけど、下手。しかも全然上達しない」
これもそう思っていました。
「私がピアノを弾くのはムダ」
時間の無駄。お金のムダ。ついでに周りにいるヒトにも迷惑かけてイライラした気持ちにさせる無駄(いらいらしなければ気持ちよくいられるのに)。
うわ、あらためて書くと、ヒドイですね。
でもこれも確かにそう思っていました(悲)。なのにピアノは嫌いじゃなくて、やめたくなかったのも確かです。
う~ん、なんだこれ? 何かが変です。
「ピアノを習っているけど下手」 「全然上達しない」
まあ、お世辞にも上手ではなかったでしょう。これは確かにそうかもしれません。でも全然上達しない、はないですね。
進度は遅かったとはいえバイエルも終わったし、チェルニー100番も終わったし、メトードローズも終わった。まあおそらくは超オマケな終わり方だったのだろうけど、それでも先生が「これでこの本は終わり」と言ったのはそれなりに終了できた、という感じで、私も一区切りを終えたという少し晴れがましい気持ちだったと思います。
ブルクミュラー25練習曲も、順番に全部さらって「この本に載っている曲ならいつでも誰にいわれても、楽譜なしでそれなりに弾けるようにしておきなさい」と言われたのも覚えています。「曲がりなりにもピアノを習っているんだから、誰かからちょっとなにか弾いてみて、と言われることもあるでしょう。そのときに何も弾けません、ということのないように」と。
今思えば、楽譜だって一応は読めるようになったわけだし、ブルグミュラー25の曲だって、そのなかの2・3曲ならいつでも弾けるってのは(今はもちろん忘れてしまって弾けませぬ)すくなくともそれだけの技術を身につけた、といっていいでしょう。
確かにピアノ習っているほかの子のほうが、上手にピアノを歌わせてたのは確かな気がします。でも「全然上達しない。下手」はいいすぎです。
鑑賞に値するピアノが弾ける、ではなかったとしても小学生でブルグミュラー25の曲がいつでも弾けたなら、十分じゃないですか?
レベルが高くないことはさておき、本人ピアノが好きで、ブルクミュラーが弾ける。いいじゃないですか。何でそんな卑屈になっているのかわかりません。
今こうして思い出していくうちに、この言葉は主に母が私に言っていた言葉だった、と思い当たりました。
は・は~ん、なるほど。
ありがちですが、親の言葉が呪いのように子供のころの私を縛っていたのですね。
急にいろいろ思い出してきました。
私が練習していると「いいかげんにしなさい。お前の下手なピアノを聞いていると頭がおかしくなりそう」とかね。かなりいわれました。
「月謝払っているのに、お金をどぶに捨てているようなものだ」とか。結構ヒドイっすね(笑)←親の気持ちはよくわかりますけど。
「今週その曲に○もらえないなら、ピアノをやめさせる」とか。やめたくないとゴネては続けさせてもらいました。本当にありがとう。
ピアノが好きで、たくさん弾きたい。でも、下手だから練習すると怒られる。練習しないと上手になれない。上手になれないとピアノをやめさせられる。ピアノは好きだからやめたくない。でも上手に弾けないから練習したい・・・・
いやなルーチンだね、これ。
念のためいっておきますが、今このことで両親を恨みに思う気持ちはありません。
むしろ、ピアノを習わせてくれたこと、本当に感謝しています。けして裕福な家庭ではなかったのに、まがりなりにもアプライトピアノを買って、私をピアノ教室(音大生の小遣い稼ぎとのことでしたが)に通わせたのです。
当時のアプライトピアノは、父の収入を考えると、本当に高価な買い物だったはずです。父(故人)は吝嗇家です。良くそんな決心をしたものだと今思えば驚くほどです。
なるほど!わかった気がします!
単純ですね!
きっと両親は私のピアノに過剰な期待をして、裏切られたのでしょう。
「ピアノなんか買うんじゃなかった」
「場所ばかりとって邪魔だ」
「へたくそなピアノに付き合わされて」
うんうん(笑)
たくさんたくさん、否定的なことを両親にいわれていました。
そう思えば、ピアノにまつわる出来事の意味がわかります。
今、たくさんのことが思い出されてきました。
もうすこし、自分の気持ちを整理したいので、続けます。