はなうたpiano♪ ~piano-hanasaku's diary~

pianoはじめました。つたないピアノの話を。   読んでくださってありがとうございます。 めざせ10ネン!

にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村     40年ぶりのピアノ再開   

ピアノを弾くのが怖い・・? 3 個人的な思い込み

2を書いてしまってから、いろいろ思い出した。

(長文警報発令!)

おかげで「ピアノを弾くのが怖い」と思っていたのは、どうやら私の「思い込み」に過ぎないことがわかった。

思い出すうちに、気持ちの中で何かがほどけていくように感じられ、勝手に涙が流れたりもした。個人的には過去を振り返ってみたのは、無駄なことではなかったと思う。

 

ただ、さすがに40年以上も経ってしまい、よく思い出せないこともある。

一応、自分なりのメモとして、まとめておく。

 

近所の家からトイピアノをもらう。

楽しく遊んでいるのを見て、両親はピアノを習わせることに。

「ピアノ習いたい?」と聞かれ「習いたい」といったらしい。覚えてはいないが、たしかにいいそうな気がする。ただ、本人はピアノを習うということがどういうことだかわかっていたとは思えない。「本当のピアノならもっとたくさんの曲が弾ける」とか言われ、その気になったのではないだろうか。というか、絶対深く考えてなかったと思う。

 

気づくとアプライトピアノが家にあったのだが、ピアノとの初対面とか、それなりの出来事だろうに、な~~んにも覚えてませぬ。ピアノ教室に通い始めたのも、覚えてそうなのだが、まったく覚えていない。いつのまにか通ってた(!)

先生は若い女性で現役の音大生。何かの折に、「私は手が小さいからピアニストにはなれない。指の間を切って広げる手術をする人もいるんだけど、私はそれはしない」と言っていた。ピアノの発表会もあったし、お楽しみ会(クリスマス会?)のようなものもあった。ケーキや紅茶をいただいて、先生からプレゼントをもらったり、交換したりした。自分が弾くのはどきどきしたけれど、楽しかった・・。

しかしいったい何を弾いていたのか憶えていない。それなりに選曲して、練習したはずなんだけど、何で忘れているんだろう?

どこかのホールでやった発表会で「アラベスク」ブルクミュラーと、「小さなソナチネ」というのを弾いたのだけかろうじて憶えている。先生がレコードにしてくれた。

演奏そのものは、間違えるのをおそれてすごくゆっくり弾いてしまった。

そのレコードをもらって帰ってきた夜に、父が曲名と私の名前を書き入れてくれた。

あのときはまだ、父も私がピアノを習っていることをそんなに嫌がっていなかった気がする。

 

独身の叔父も、私のピアノがうるさいといっていた。家族ですらそうなので、近所の人たちはもっと嫌がっている、と私は思い込んでしまったらしい。

今思えば、夜遅く弾くわけでもなく、ご近所さんは、たいして気にしてなかったのではないかと思う。ただ、「こんな(下手な演奏の)ピアノ恥ずかしい」と家族からいわれていたのを、そのまま受け取っていたのだろう。

 

「いつまでも上達しない」「下手なピアノ」というのは、客観的というよりは、家族から言われていただけのような気がする。

 

数年で先生は結婚のために実家を離れることになり、そのピアノ教室はなくなることになった。私は線路を越えたところにある「先生の先生」の教室に移ることになった。チェルニー100番とソナチネアルバム1をやっていたのを、そのまま継続した。

今思うと、音大を出てわりとすぐ結婚されたのだと思う。お相手も音楽をなさる方だったと聞いたような気もする。学生時代からのお付き合いだったのかもしれない。

それを機にピアノを習うのをやめた生徒さんもいた。「先生の先生」の教室へ移ることになったのは私一人ではなかったような気もするのだが、憶えていない。ここでも発表会はあったのだが、私は一回くらいは出たような気もするし、あるいは出なかったのかもしれない。それすら覚えていない。

「先生の先生」のところでチェルニー100番を終えた。その後の教本はなかった。ソナチネだけになり、数曲をさらって私は教室を辞めた。本心ではピアノは続けたかったのだが、ろくすっぽ練習をしないままレッスンに通い続けることが精神的につらくなっていたため、「もう辞めろ」という親に従った。辞めるのが悲しくて泣いていたが、練習をしないでレッスンに行くことからは開放された。

 

その後何回か、易しそうな楽譜を買ってきて弾いてみたが、易しそうに見える楽譜もなかなか弾けなかった。基礎力がほとんどついてなかったのだと思う。レッスンでダンパーペダルの踏み方を教わったことがなく、ダンパーペダルを踏む演奏をしたことがない。そのレベルの演奏に至っていなかったのだろう。どうしていいかわからなかった。そのかわり弱音ペダルは踏みっぱなしだったし、調律もしないため、ピアノの音はだいぶ狂っていた。

新しい曲は弾けないので、レッスンでやったことのあるソナチネの曲を時々弾いていた。というか、それしか弾けなかった。(いまはもちろんすっかりわすれていて、弾けませぬ)

 

一度だけ、母が私に言った。

「お前はピアノが弾けていいね。そうやって気晴らしができるのだから」

自分では「ピアノが弾ける」と思っていない私は、「気晴らしになるほど弾けない」と答えた。

(いや、それフツーピアノ弾けるっていうし。どうみてもピアノ弾いて気晴らししてるだろうよ、何を言っているのだか。おかしいよ、かつての自分w)

 

先日母に、私のピアノについて聞いたが、あまり記憶にないようだった。先生の先生(お名前すら思い出せない)のところに通っていたことも、母は覚えていなかった。

「お前はピアノが弾けていいね」と言ったことも、覚えていなかった。

ピアノを習わせてくれて、ありがとう、と言ってみたが、「ふ~ん」といっただけで、彼女にとってはどうでもいいことのようだった。

 

父はもういないので反応を確かめることはできないが、吝嗇家なのでもしかしたらいまでも「実に無駄な出費だった」くらいは言うように思う。

(あなたにとっては無駄だったとしても、わたしにとってそれは何ものにも換えがたい、本物の「宝物」になったよ。お父さん、本当にありがとう)

 

ピアノを弾くのが怖いと感じている私。

それは私が、自分がピアノを弾くのは、どこか「いけないこと」のように思い込んでいたからだ。

 

それは、両親や当時同居していた家族たちの反応をみて、私が勝手に思い込んでしまっただけで、実際には私のピアノのことなんて、誰もさほど気にしていなかったのだろう。

両親からはずいぶんいろいろ言われたと思うが、それも本当は私のピアノがどうこうというよりは、そのときそのときの両親が抱えている問題のせいで、イライラしたり、やり場のない思いを抱えていたりで、それをただ、私のピアノにぶつけてしまっていただけだったのだろう。

もっとのびのびと弾いてよかったのだ、たぶん。まあ、実際それなりの音量もあるし、時と場合によってはちょっとは嫌がられたかもしれないけれど、そんなに気にしなくてもよかったのに違いない、と今は思う。

 

振り返ったところで、過去を変えることはできないが、思い出しながら気持ちの整理はできた。

 

いろいろ思い出したつもりで、やっぱりあんまり憶えていない。

大体のことはここに書いたので、気も済んだかな。

 

個人的な繰り言は、もうこの辺でおしまい!

あとは、明々後日家に来るデジタルピアノと一緒に、これからのピアノをつくっていく。練習の壁とか、技術の壁とか、悪い癖の克服とか、いろいろなことがこれから先に待っているだろう。過去じゃなくて、問題はそっちだから!

 

騒音な演奏?も音源アップとかできたらしたいし、いろいろおぼえることたくさんあるよ、ファイトだ~♪

 

にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村