ピアノの思い出(というか、まつわるネガティヴイメージ)
汗をかきかき、デジタルピアノで練習していた私は、ふいに誰かがその旋律を歌っているような気がした。
いや、誰に聞こえるはずもない、ヘッドフォンをしているのだから。
窓の外を誰かが話をしながら歩いている声が聞こえただけだ。私のピアノの音は彼らに聞こえるはずがない。
錯覚。誰かが今私が弾いている練習曲のメロディーを、からかうように歌っているような気がしたのは、よみがえったネガティヴな記憶だ。
思わず手が止まってしまった。
忘れていたはずの思い出(というか、まつわネガティヴイメージ)。
ピアノを弾いていると思い出すあれこれのうちのネガティヴなもの。
私がうまく弾けなくて繰り返し練習する単純なピアノ練習曲のメロディーを、叔父はあざけるように私にむかって歌ってみせる。(ふふん、なんだこのつまらんメロディーは)たら、ららら~ら、らら、ら~ら? そうして鼻で笑う。(こんなのがいつまでも弾けないのか)
括弧の中は、私が感じただけなのか、本当にそう言われたのか、定かではない。
た~ららら~ら? からかうように歌う。
からかわれる、ということは、からかわれる対象は、どちらかとみっともないことなのだ。
たとえば「鼻が赤い」とか「服のすそがいつも破けている」とか「忘れ物をして廊下に立たされている」とか。そういうことがからかわれる対象となるから。
本当は、姪(私)にむかってなんと話しかけていいのかわからなかっただけなのかもしれない。でも、幼い私はあざけられたと思い、からかわれたと感じた。
私のピアノは(その練習は)それらと同列に、からかわれるべきものなのだ、と私は思い込んだ。そう、つまり「みっともない」ということ。
ああ、そんなこともあったね。
昔々のお話。昔々の亡霊。ここに書いてしまえば、ただの幻想と同じ。
さようなら、ネガティヴイメージ。