はなうたpiano♪ ~piano-hanasaku's diary~

pianoはじめました。つたないピアノの話を。   読んでくださってありがとうございます。 めざせ10ネン!

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美しいものに触れると苦しい

前回、妄想がとまらなくなって、でもたまらなくなって書いちゃったわけですが、

たがが外れたので(←おいおい)もうちょっと書いちゃうことにしました。

 

わたしはどうも、どこかおかしいのかも、とは思っていたんですよ。

たとえば絵とか見に行くじゃないですか。なんとか展とかいって世界的にも有名な美術館のコレクションの一部なんかが日本にも来たりしますでしょ?

「あ、見に行きたいな~」って思うの。でも、あんまり行動的じゃないので、すぐ自分で見に行ったりしないのね。ただ「見たいな」とか思う程度で。

演奏会もだいたい「行きたいな~聞きたいな~」って思うけど、思うだけで行かない。

 

でもね、たまたま周囲の人とそんな話になって、

「じゃ、一緒に行こうよ」ってことになる。

これ、やばいんですよ。

 

だってね、たいていそれだけのものって「すごいもの」なんです。

そりゃそうですよ、だって「世界的に有名な」作品だったりするわけですから。

だめなんですよ、そういうものに触れたら。

 

だって、苦しいんです。

 

感動すると、苦しいんです。

心がすっかりそれにとらわれてしまい、たいてい涙がとめられないし、しばらくのあいだ、体中になにかがたぎるようにあふれてとまらないんです。

 

苦しいんです。

すばらしいものに触れると。

「わたしも・・・・・たい」「わたしも・・・・・したい」「わたしも表現したい!」突き上げてくる衝動を抑えきれないんです。

 

一緒に行った友人と「よかったね~♪」とかいいながら、お茶したりランチしたりしながら、適当に話をあわせているんですが(よかったのは、まったくもってウソではないですからね)、「また、なんかあったら一緒に来ようよ」って言ってくれる。やさしい友人。。。

わたしは気のない返事をしながら、「ダメだ、来るんじゃなかった」と思っていたりするのね。だって、苦しいんだもの、すごく苦しいんだもの。すばらしいものに触れると、雷に打たれたように(本当に打たれたことはありません)、体中が熱く引き裂かれるように(引き裂かれたことはありません)感動と衝撃が体中に渦巻いて・・・・たまらなくなる。そしてしばらくのあいだ、それがやがて静かにひいていくまで、ずっとずっと苦しさが続く。息苦しいような、いても立ってもいられないような。その日一日はおろか、短くても数日は・・・・。

 

周囲の人を見ていると、そんなわたしってどうなんだ?と思うの。。。

苦しくならないの?それとも苦しさに耐えながらなお、求めてやまず美しさに触れに行くの?

 

できもしないとわかりきっているのに、どこか心の奥底から沸いてくる「表現したい」という気持ちを抑えるのはとても大変なんだけどな。

 

若いころ、何人かの親しい友人に「自分もやりたいな」って思わない?

と聞いてみた。

「そういうふうには思わない」と言っていた。

・・・それが本音かどうか、知る由もないけれど。

 

「そういうふうには思わないよ」という友人たちの言葉が本心からなのだとしたら、やっぱり私はおかしいのだろう、と思うんだよ。。。。

 

最近、職場の非常勤の人たちが、余暇を利用してけっこう美術展や演奏会や舞台鑑賞なんかに行っていることがわかったのね。職場の雑談のなかで「よかったよ~」なんてしばしば話題になっているから。たまたまわたしもその輪にはいることがあったので、「そういうの、お好きなんですね」とかいいつつ、「もしかしてご自身でもなさっているんですか」と尋ねてみたりした。こたえはきまって「まさか~見るだけ(聞くだけ)だよ~」ということだった。

 

「すっごくよかった」と楽しそうに語るのを見る限りでは、そういった苦しさを感じているようではないように見える。もちろん、心の奥底まではわかりはしないけれど。

 

は~あ、バッカジャナイノ?(自分のことよ)

あ、いや、もちろん、その「すばらしい作品」や「すばらしい演奏」や、そういったものに自分で手が届くとか思ってるわけじゃないんですよ?

ただ、自分自身で表現したくなるだけで。そしてそれはもちろんわたしの身の丈にあった程度のささやかなものなんですけどね。でも、そうしたくてそうしたくて、どうにもとまらない~~~!な状態に突入しちゃんですよ、ほぼ、間違いなく(笑)

 

で、まさかそうそうそんな衝動に身を任せるわけには行かないですから、時間的にも環境的にもね。だからその衝動が収まるまで、とにかくじ~っと我慢してるわけです。刺激しちゃいかん、という感じで。

なんとかそうやってしばらく過ごしていると、そういう苦しさというか衝動というかがすこしずつ薄れていって、何事もなかったかのように生活できるようになるわけですよ。

 

だから。

うかつに自ら触れに行ってはいけないの、危険だから、苦しむから。わかってるから。触れたいけれど、触れられない。痛みに耐えるのがつらいから。

 

そんな感じで生きてきました(大げさ)。

今もそうです。自分から情報にたいして扉を閉ざすようにしてるところがあります。

 

 

やっぱりおかしいんだろうな、と思います。

現実にはそういう「おかしさ」は出さないようにしてます。職場の話題でも「あら~いいですね~そういうのに触れると豊かな気持ちになれそうですね~」とかいって適当にやってますし(笑)

本当のところは「豊かな気持ち」どころか、もうズタズタにされちゃう気分ですけどね、それは言わない(笑)

 

ピアノを始めて「よかったな」と思うのは、その衝動がピアノを練習しているとすこしずつほどけて、和らいでいくようにかんじることです。

全然、感動とは違うレベルなんだけどね~、てか早い話自分の音なんて、騒音なんだけどさ。

うつくしいものに触れたときの苦しさそのものが、なくなったわけではないんだけど、少なくともその痛みが行き場をなくしている苦しさだけは、ほんのすこし、和らぐような、そんな気がするんだよね。。。

 

 

どうにもならんことですが、書いちゃったのでちょっとすっきりです。

 

読んでくださってありがとうございました。