趣味の~大人の~
「趣味の~」「大人の~」がつくとイメージされるマイナスな(?)印象。
あえて、そういうからには、なにかあるわけで。
それってなんだろう、と考えてみた。
う~ん。
応用の利く、幅広い磐石な「基礎固め」はやりません。
これかな?
未来がある(かもしれないうちの)子ども、あるいははっきりと専門家をめざす場合は、汎く応用のきく基礎を固めていく。地味でも遠回りでも時間をかけても。
でもあえて「趣味の」や「大人の」が付いてる場合は。
とりあえず楽しげな、あるいは本人が希望する曲をそこそこ聴けるかな?程度のレベルにはする(けど、応用の…以下略?)
「専門家」が聞けばザルだけど、まあ、一応これもありなんじゃね、シロウトだし。
なレベルの演奏を目指す。(辛口かな、でもそんなところだ)
ちょっとは頑張ってできないことができるようになる、ってことで一応の達成感は得られるしね。
基礎はまあ、やってるふりか、最低限必要なところだけ。
そんな感じなのかな?
もちろん私はその「最低限」をめざしてがんばるしかない。
そう、最低限(笑)
その最低限が非常に大変なのです、私にとっては。