ペルセウス流星群は見られなかったけど、ピアノを弾いている夜。
昨日から読んでいる本「ニュートリノと私」小柴昌俊 PHP研究所
(「あふぃりえいと」でもやっておけばいいのかもだけど、わからない)
以前どこかで聞いていて、なんとなくあやふやだった「モーツァルトとアインシュタインどっちが天才?」のことが出ていた。
科学と音楽は違う、という話。
アインシュタインの一般相対性理論(私はその名称だけで、内容は理解していない)←もしもアインシュタインがそれをやらなかったら、後進の誰かがそこに到達する。それが科学。
モーツァルトのすばらしい曲←もしもモーツァルトがそれを作曲しなかったら、それを誰かが作曲するかというと、超望み薄。
だから、モーツァルトのほうがより天才。(科学と音楽の違い、が論点)
試験問題に「世の中に摩擦がなくなったらどうなるか答えよ」というのを出して、答えは「摩擦がなかったら、鉛筆で答案が書けない」。だから白紙で出したやつは丸。
(同じ本のP50)
とかいうお茶目な小柴先生の言うことだから。
私は理数系科目はあまり得意じゃなかったせいかもしれないが、この世の真実、この世の摂理、この世の破綻ない美しさ、を解き明かしていく科学(と感じている)に憧れみたいなものがある。
科学の先生たちが私にもわかるように噛み砕いて説明してくださるのを聞いたり(読んだり)するのが好き。理解のほどは謎だけど。
ニュートリノって名称にしても、数年前まで「ニュー トリノ」new+torino(??)
かと(お約束のように)思っていたやつだし。neutorino 、ああそうね~ドイツ語とかだとNEUだし、とか。勝手に納得してたし。
わかりやすい説明を拾ってきて貼り付けようと思ったけどうまくみつけられなかったので、一応説明努力してみる。(何のために?)
ニュートリノは性質が「ちっこい中性のなにか」なので名称も「中性・小さい」って意味で「中性=neuter」+「小さいをあらわす語尾ino」(間違ってるかもなのですが)
あ~そっか「ニュートラル」と「ロナウジーニョ」とか「バンビーノ」とかの「イーノ」か、そっかそっか。
って、私の理解程度丸出しですがな!
そんな感じで、理解力低いのに(低いゆえに)憧れてるわけで。
話ズレズレですがな!
理解力は低いけど低いなりに(しか、だけど)宇宙の美しさを感じる。
名曲、って残ってるモーツァルトに限らない多くの作品群、おかげで私にも、その美しさに触れることができる。たぶん名曲で触れる美しさも宇宙の美しさのひとつ。
聞くだけじゃなくて弾いてみることで、演奏力は低いけどそれなりに(しか、だけど)たとえようもないこの世の美しさを感じることができる。
どちらも理解力程度にしか感じられないのだとしても。
タイトルはペルセウス流星群見たかったけど見れなかった。残念。でもピアノの曲でこの世の美しいもののひとつに触れられたんだから、まいっか。ってくらいの意味です。(まんまやん!)