どうしてピアノが弾きたいのだろう
私がピアノを弾かなくても、ステキなピアノの演奏はこの世界には十分すぎるほどある。むしろ、私のようなものがつたない音を出さないほうが、騒音を生み出さないという意味で、シンプルにこの世界に貢献するに違いない。
そうそう。
私はピアノを弾かないほうが、世の中のため。
そんなのわかりきってるのに。
申し訳ありません、それでも・・・
それでもピアノが弾きたいのです。
どうして、こんなにピアノが弾きたいのだろう。
考えても、これといった答えはみつからない。
でも、いいわけのように夢想する。
下手なピアノでもいいじゃないか。誰もがすばらしく上手でなくていいじゃないか、と。
道を歩いていると、どこからかピアノの音がする。
あきらかに演奏家のものではなく、ややたどたどしく途切れがちに奏でられる音。
「あ、誰かがピアノを弾いている(練習している)」
それは、わたしにとってひとつの幸せの情景。
角を曲がってしばらく行くと、また別の家からピアノの音がする。
あちらでは三味線の音が。
そんなふうになんとなく誰もが自由に音楽とともにあるような、そんなまちに住んでみたい、と夢想する。
演奏は消して上手ではないけれど、でも音楽を奏でることが好きな、そんな人たちがそこかしこにいるような、そんなまちに住んでみたい、と夢想する。
私もひっそり、そんなまちの住人のひとりになりたいのだ。
それも一応、答えのひとつ。
まあ、たぶん私にとって都合のいいだけの夢想にすぎないだろうけれど、
もしもそんな風に思うのが私だけでないとしたら、私がつたないピアノをひくことも、少しはそう思う誰かにとってはけして邪魔ではないんじゃないか、なんてね。
自治体のホールでは今日も音楽会が開かれる。子供たちは学校で歌を歌いリコーダーを合奏してる。近くの小学校の体育館では、吹奏楽の練習をしてる。あの角を曲がると、ピアノとバイオリンの教室がある。
あれ、なんだ。
もしかしたら、私はもうそんなまちに住んでいるのかもしれない。