知らない曲を楽譜から、の楽しみ♪
楽譜が、音楽になるのがうれしい。
はじめての楽譜を見て弾いて「あ、こんなメロディーなんだ、こんなハーモニーなんだ」ってわかっていく過程が楽しい。それがすでに知っている曲なら、より楽しいか? といえば、そうではない。
知らないメロディー、予想をちょっと裏切るハーモニーのほうがよりわくわくする。
知らない音楽を聴くのも、わくわくするけれど、どうしても「きく」ことにはどこか受動的なところがあるのだろう、シンプルなメロディーでも、耳から入る音としての予備知識なしで、楽譜から直接読み取っていく楽しさのほうが勝る。
私程度のおぼつかない読譜力で、少しずつ少しずつ楽譜から音を拾い出して再現していくのは、よちよちと歩き始めた幼児がいちいち立ち止まっては草むらの中の小さな虫を飽かず見つめたり、空気のにおいを無心に感じ取ったりしながらこの世界を知ろうとするのに似た、楽しさと喜びに満ちているように思う。
もっと読譜力がつくと、大人がまっすぐ目的地に向かうように、また別のもっと大きな喜びをほかに見出だすのかもしれないが、今の私には、ゆっくりと曲が自分のなかで形になっていく過程が、音楽と接するときの大きな喜びのひとつだ。
好きな曲でレッスン・・・にためらう(クリック注意!別ウインドが開きます)のは、この喜びが減ってしまうことでもある。
次々と「弾きたい曲」を弾くことが、思うほど楽しくなかったのは上記のような喜びがあまりなかったことも関係するかもしれない。弾き手である私のレベルが低いためにアレンジの妙、というのもさほどなく、どちらかと言えば無難な編曲になるのもやむを得ないから、読譜からの「発見」はないわけではないが、絶対量は減ってしまう。
今は、ごく簡単な練習用の曲でも、ネットで検索すれば、自分で楽譜からメロディーや拍子を読み取らなくても「完成型」に近いものを簡単に聞くことができる。もしかすると、楽譜を見る前に耳から入れてイメージを固めるやり方が今では主流なのかもしれない。でも、それをやると、この楽しみがなくなってしまうので、
遠回りだとしても、自分の楽しみのために(!)楽譜はまず自分で読んで音とりをしたい、なんて生意気にも思うのだ。