「才能」ってなんだ? 自分を信じてもいいのかな?
自分自身にピアノを弾く才能があるのだろうかと問うたなら、正直な気持ちとてもとても「ある」などと言えない。ピアノでなくとも、音楽の才能があるのかといえば、やはりとてもじゃないが「ある」などと思えない。
絶対音感というものもない。相対音感さえあやふやだ。
聴いたメロディーを再現するのもおぼつかない。
音楽の才能? あるわけないよね(笑)
何冊かの本、ピアノの先生が大人の趣味ピアノについて書いた本、その複数におなじようなことが書かれていた。
「ピアノをやろう」と思うあなたには、ピアノを弾く才能があるのです、と。
なぜなら誰もがそうは思わない。なのにあなたはそう思った。
やりたいと思った、弾きたいと願った、そのことがあなたにピアノの才能がある証拠なのだ、と。
本ではなく、どこかのブログでも同じような趣旨の記事を見た。
そして実際に、ピアノの先生からも、そういわれた。ピアノを聞いて、音楽を聴いて、心が震えるほど感動するということは、あなたはそれを受け取るだけの心があるからであって、その感受性は才能なのだ、と。
…そうだろうか。私には才能があるのだろうか? あると思うのはカンタンか? でも実際弾くのはけしてカンタンではない。とてもじゃないが才能などあろうと思えない。あると思うことは…なかなかできない。ありえない。
私の「音楽」未満のピアノを聞いても、「自分を信じなさい」と先生は言う。
う~ん…信じられないよ(笑)
昨日ぼんやりとそんなことを考えながら(こらこら)職場に向かっていた(こらこら、考え事はおやめなされ)
ふと、思った。
私は…確かに音楽を聴いて自分をなくすほど心を動かされたことがある。絵(というか大して大きくもない無色のエッチングなども含めて)を見て打ちのめされるほど衝撃を受けたことがある。苦しさも似たような…。
けれどの一方で、ダンスやフィギュアスケートの演技、舞台芸術を観てそこまで心を動かされたことはない。解説を聞けばああ、そうなのかとも思うし、素直にすごいな、と思うことはあるのだけれど、音楽のようには、あるいは絵画のようには「感動」というか「心を揺さぶられるような衝撃」を感じたことは、一度も、確かに一度もない…。
?
あれ? なんでだろう?
同じように芸術なのだろうに、別に音楽も絵画もとくによく触れるわけでもないから、たまたま「感動レベル」のものに触れた、ということでもないような気がする。
確かに私が震えるほど感動しまくって動くこともできなくなっているときに、周囲の人がみんなそうだったかというと、そうでもない。
必ずしも万人が同じように感動するわけじゃない。
・・・じゃあ、やっぱり「感動できる心がある」ことは「才能がある」ってことなんだろうか? そうなのか?
他の人と比べたら、その才能はきっと取るに足らないちっぽけなものなのだろう。それでも私の中にはほかの分野には感じない何かがある、それは確かなことらしい。
ほかの分野にはない(感じない)それを、「才能」というなら…
確かに私にそれはある。かもしれない、じゃなくて、確かに。
今すぐできなくても、もしかしたら未来のあるときに、できるようにならないとも限らない。だって、私には「才能」があるんだから(笑)
そんなふうに、信じてもいいかな?
まあ、こっそりと心の中で信じるくらいはいいんじゃないかな?
他人とくらべないなら、自分の中でなら、信じてもいいかなぁ(笑)