子どもの習い事のピアノ
子供の習い事のピアノって実際どのくらいの子がどのくらい続けるんだろうか?
私の通っているお教室、小さい子たちが多いけど、中学生高校生はあまり見かけない。
それはつまり、そんなに続けないでやめているってこと。
年長さんからはじめて中学卒業までで10年・・・。
10年続く割合ってどのくらいなんだろう…まあ、実際どうでもいいんだけど。(こらこら)
前回、とりあえず10年やれば?みたいなハナシだったから、ちょっとね。
10年やればそれなりにというかそこそこには弾けるようになるんだろうな~。
・・・いいねそれ。悪くない夢だなぁ。
そこそこがどこらへんかわからないけど、あんまりがっかりしない程度には弾けてるんだろうか?
10年やった子供さんて、想像するとすげ~弾けてるイメージしかない(笑)
素質やら才能やらの前に
今日、読んだ本のなかにちょうど前回の記事に関係したことが書いてあった。
いろんなお題があって、その中の一つがこれだった。
~「素質」ってなんだ?~
で、読んだ私が要約すると(笑)←内容は保障しませんw
素質? そんなの関係ない! なくていいから(笑)毎日やれ。ちょっとでいいから。努力とか別にいらないから。とにかく毎日やれ。ただやれ。10年やれ。
つうことだった。
で、語り手が吉本さんなんで、例が作家なんだけど「机の前に座る」だけでいいから毎日やれと言ってる。ふ~ん。
ピアノだったらなんだろうね、とりあえず寝る前にスケールだけでいいからちょろっと弾いてみるとか?それできなくても蓋だけあけて鍵盤に触る(なでる)とかでもよさげ。
いやいや、もちろん弾ければ弾いたほうがいいにきまってるけど、眠くて疲れてそれどころじゃないよ~な時なんかは、それでも寝る前に鍵盤をなでる(笑)
出先でピアノがなかったら、スケールメモみたいのでいいから、ピアノ弾いてるつもりで脳内再生する。
うんうん、これならなんとか毎日できるんじゃないか?トイレ行ったら(笑)とりあえずスケール脳内再生開始とか。
別にスケールじゃなくてもいいけど、そのとき弾こうとしてる曲のごく一部を弾いてるつもりのイメージ再生。何もやらないよりは絶対マシなはず…(そうか?)
小型の楽器なら、抱えてみるとか構えてみるとか、ばちやら弓やらを持つとかなんかしてみる。音出せなくてもそれだけはしてみる、ってのも最低限ありかも。
できない日でも毎日10年。。。。
そして吉本さんいわく、これはもう保証する!と。これでとにかくなんとかなる、と。
素質だとか才能とかはそのあと、とにかく10年やってからあとの問題なんだそうで。
ふ。10年か。そうか。ただただ10年毎日・・・。
あ~! なんかすっきりしたわ。むしろさっぱりしたわ。
「あたしって、才能ないしぃ。やってもムダなんじゃない?」とかぐずってるのがあほらしくなりませんかね。あたしゃなりましたよ。
10年毎日やらんうちは、才能以前!
好きだというなら(笑)ガタガタいわんと、やらんか~い、ってことだな。
まあ、毎日欠かさず、ではなかったけれど、1年半くらいはすでに消化ずみなので、あと8年半。
脳内再生やらたんなるピアノオサワリもコミで(コミか?)、とにかく続けりゃいいんであ~る!
ふ。やるよ。やってやるさ。
あたシャ~、やるからね。
思えば10年ってのはうっすらと考えてたんだ。
定年になって仕事を辞めたときに(たぶん現状だと定年になっても辞められなさそうではあるんだが)、そこから「はじめましょ」ってよりはちょっとばかりフライングスタートしておこう、って。
そうそう、つまり予定として現状は「スタート」以前なんだわ(笑)
なんだよ、難しく考えることないじゃん。とにかく「毎日」なにかしらやればいいだけ。
やるぞ~!(本当に単純な奴w)
「才能」ってなんだ? 自分を信じてもいいのかな?
自分自身にピアノを弾く才能があるのだろうかと問うたなら、正直な気持ちとてもとても「ある」などと言えない。ピアノでなくとも、音楽の才能があるのかといえば、やはりとてもじゃないが「ある」などと思えない。
絶対音感というものもない。相対音感さえあやふやだ。
聴いたメロディーを再現するのもおぼつかない。
音楽の才能? あるわけないよね(笑)
何冊かの本、ピアノの先生が大人の趣味ピアノについて書いた本、その複数におなじようなことが書かれていた。
「ピアノをやろう」と思うあなたには、ピアノを弾く才能があるのです、と。
なぜなら誰もがそうは思わない。なのにあなたはそう思った。
やりたいと思った、弾きたいと願った、そのことがあなたにピアノの才能がある証拠なのだ、と。
本ではなく、どこかのブログでも同じような趣旨の記事を見た。
そして実際に、ピアノの先生からも、そういわれた。ピアノを聞いて、音楽を聴いて、心が震えるほど感動するということは、あなたはそれを受け取るだけの心があるからであって、その感受性は才能なのだ、と。
…そうだろうか。私には才能があるのだろうか? あると思うのはカンタンか? でも実際弾くのはけしてカンタンではない。とてもじゃないが才能などあろうと思えない。あると思うことは…なかなかできない。ありえない。
私の「音楽」未満のピアノを聞いても、「自分を信じなさい」と先生は言う。
う~ん…信じられないよ(笑)
昨日ぼんやりとそんなことを考えながら(こらこら)職場に向かっていた(こらこら、考え事はおやめなされ)
ふと、思った。
私は…確かに音楽を聴いて自分をなくすほど心を動かされたことがある。絵(というか大して大きくもない無色のエッチングなども含めて)を見て打ちのめされるほど衝撃を受けたことがある。苦しさも似たような…。
けれどの一方で、ダンスやフィギュアスケートの演技、舞台芸術を観てそこまで心を動かされたことはない。解説を聞けばああ、そうなのかとも思うし、素直にすごいな、と思うことはあるのだけれど、音楽のようには、あるいは絵画のようには「感動」というか「心を揺さぶられるような衝撃」を感じたことは、一度も、確かに一度もない…。
?
あれ? なんでだろう?
同じように芸術なのだろうに、別に音楽も絵画もとくによく触れるわけでもないから、たまたま「感動レベル」のものに触れた、ということでもないような気がする。
確かに私が震えるほど感動しまくって動くこともできなくなっているときに、周囲の人がみんなそうだったかというと、そうでもない。
必ずしも万人が同じように感動するわけじゃない。
・・・じゃあ、やっぱり「感動できる心がある」ことは「才能がある」ってことなんだろうか? そうなのか?
他の人と比べたら、その才能はきっと取るに足らないちっぽけなものなのだろう。それでも私の中にはほかの分野には感じない何かがある、それは確かなことらしい。
ほかの分野にはない(感じない)それを、「才能」というなら…
確かに私にそれはある。かもしれない、じゃなくて、確かに。
今すぐできなくても、もしかしたら未来のあるときに、できるようにならないとも限らない。だって、私には「才能」があるんだから(笑)
そんなふうに、信じてもいいかな?
まあ、こっそりと心の中で信じるくらいはいいんじゃないかな?
他人とくらべないなら、自分の中でなら、信じてもいいかなぁ(笑)
これからの展望(?)
ピアノ、もうたぶんこれからピアノのない人生はさみしいな、と思うくらいにはなった。
少し離れることがあっても、なるべくピアノを弾けるように(生きて)行くだろうな。
人生何があるか、本当にわからないので何とも言えないんだけどさ。
このまま(というわけにすらいかないだろう加齢その他のことはあるが)比較的順調に現状をなるべく維持したとして、弾きたい曲を少しずつ弾いていくと、どんなもんかなと考えた。
半年で一曲くらいのペース(予測としては大甘)で、向こう10年で
何度弾いてもいつ弾いてもいいと思える曲(しかも小曲だけど)で20曲。
・・・うんうん。このくらいの曲とずっとお付き合いしていければ、もう私のピアノ人生は大成功と言えるだろうな。
そうあれかし。
スケールちょこちょこメモチラ見作戦たぶん成功
全調スケールなんて、覚えられない…んじゃなかろうか。
覚えられるにしてもいったいどんだけ長い期間かかるのだろうか。
まあその~、べつにどんだけかかってもかまわないけどな。まあ、もしかしたら生きてるうちに覚えきれないかもしれないけどな。
それはそれでおいといて、できるだけやるしかなかろうよ。
とか思っていたが、例のあんちょこ(?)メモを一日に何度か見ては弾いてるつもりのイメージを脳内に展開。
てなことを繰り返していたら、本当に覚えられそうな気がしてきた。
実際にピアノでスケール弾く回数は増えていないのだけど、
明らかに定着レベルが違う。
この調子なら次回レッスンまであと2時間くらいしか練習できないと思うし、そのうちスケールをさらうのはものの10分程度にしかならないはずだが、なんとか弾けそうだ!
全調…どう見積もっても3年以上かかりそうだったけど、この調子なら1年くらいでいけるかも!
(すぐお調子に乗る性格です)