弾きたい曲
陳腐といわれようが(誰が言うのだろう)弾きたいものは弾きたい。。。
ベートーベンの悲愴第二楽章
FF「ザナルカンドにて」
ほかにもあるけれど、現時点で弾きたい気持ちが大きいもの。
とりあえず3つ。
ほかにもあります、あります、ありますけどね。
無謀にも挑戦し始めてるのがノクターンです。
ある程度音が拾えるようになったら(こころざし低いね)
次行く予定(人生残り時間を考え、そうする予定)
やってみたい教本
これは、やはり子どものころの憧れでしょう。
いつか弾くんだ、とか思い違ってましたからね ><
いまのところ永遠に弾くことなどないでしょう。
かなうならば、生きてるうちにやってみたいです。
もし今生でかなわないならいつか転生してでも弾きたいかもしれません(何の話?)
・・・ふふ、やっぱり永遠に無理かも(泣)
書くだけ書くよ。(何投げやりになってるんだか)
バッハ:プレインベンション・インベンションとシンフォニア
ツェルニー:30番・40番・50番~
ありすぎ…!
10年くらいでなんとかならないものなのだろうか。
あ、そうそう!
これも憧れの教本だった「ハノン」!!
今おさらいしてます♪楽しいです♪先生ありがとう!
先生のほうから持ってきてくださいました!先生ありがとう!
ここからは蛇足。未整理。
昨日、図書館に予約していた本がまとまって5冊用意されていた。予約本が来るタイミングって、自分でどうこうできなくて、たいていまとまって来たりする。
「はだしのゲンわたしの遺書」の次に続けて「ペコロスの母に会いに行く」を読んだ。
「わたしの遺書」では読むのがつらくなるところもたくさんあった。著者のほうがもっとずっとつらいだろうに・・・。(私は「はだしのゲン」は読んでいない。)その中に、お母様の遺骨がなかったこと(3,4センチの破片があるだけ)ということが書いてあった。
それを読んだあとすぐだから、「ペコロスの」で「焼き場から出てきた骨はもろくて、頭蓋骨は触れる前に崩れてしまった」とあっさり書いてあるその意味が理解できた。被爆の影響だ。「わたしの遺書」を読んでいなければ意味がわからなかったかもしれない。さらっと読みすごしたかもしれない。「母に会いに行く」は「原爆」が主題ではないし。
認知症のお母様が子どもを背負っている、とおもっている。それは「8月9日に」「母の背で亡くなった」「姉のヒロコです」若いころのお母さまが(明記してはいないがおそらくは原爆投下後すぐの長崎とおもわれる場所を)子を背負い、子守唄をうたいながら歩くシーンが2コマだけ書かれている。
絵はあっさりしているんですが…それだけで、もうわたしには過去に見たさまざまの関連映像が・・・!もう、ぶわ~~~っと。
語られないいろいろが、押し寄せてくるように思われて。
まだ整理して書ける状態ではないのですが、忘れないように書きました。
とりあえず、次のように感じたということで(飛躍してますが)
人生は夢のようなもの…はかなくて、せつない夢のようなもの。
だから、弾きたい曲は弾いちゃえ!(おぃ、飛躍しすぎ!)
失礼しました。